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高校情報

高専の歴史(設立まで)



1961年(昭和36年)6月に学校教育法が改正され、中学校卒業を入学資格とする5年制の教育機関、高等専門学校が創設されました。翌1962年(昭和37年)には第一期校が開校します。1960年(昭和35年)に閣議決定された「国民所得倍増計画」では、「すみやかに国民総生産を倍増して、雇用の増大による完全雇用の達成を図り、国民の生活水準を大幅に引き上げること」を目的としました。高専制度は、この計画をベースに誕生したものと言われています。当初、文部省(現文部科学省)は所得倍増計画達成のために、高等教育機関の理工系学生の定員を大幅に増員しようとしましたが、議論の末、中止に。その後、大学や短期大学とも違う教育制度であることを明確にし、国会に上程。これにより、日本短期大学協会や野党の反対を抑えることができ、1961年(昭和36年)に高専法が成立します。

5年一貫教育の成り立ち

5年一貫教育の成り立ち

高専制度誕生の際に定まった「5年一貫計画」は、当時の経済界の意見にあと押しされたものと言われています。日経連の教育委員会は、「二年制の短期大学を高校と結び付け五年制の専門大学を設ける」ことを提案しています。また、戦後の教育改革で6・3・3・4年制が定着しましたが、高等教育については、米軍総司令の声明に基づいた勧告で、改革当初から、「6年制または5年制の職業教育に重点を置く専修学校を認めること」などと他の体制の可能性も検討されていました。また一方で、受験戦争を少しでも緩和するという観点からも、高等学校と続きである専門職業教育機関の設置が支持されました。

目的は中級技術者の養成

戦前において、工業高校卒業者は初級技術者、工業専門学校卒業者は中級技術者、大学卒業者は上級技術者とされていました。しかし戦後、工業専門学校はすべて大学に昇格します。工業高校卒業者は現場で働き、大学卒業者は研究や開発をする技術者となりましたが、現場と開発の場をつなぐ中級技術者にあたる人がいない状況となっていました。当時、財界や産業界からの、日本の経済発展に伴う中級技術者教育に対する要請は盛んでした。授業も大学では理論などを学び、工業高校では実践的な内容が多いということもあり、高専はそれぞれの良いところを取り入れた、中間的な位置づけの学校として生まれたのです。

定められた高専制度

創立時、中級技術者養成の目的を達成するための制度として、次の内容が定められました。(1)名称を「高等専門学校」として、大学とは別の高等教育機関であることを明確にする。(2)次に修業年限を5年制の1本にし、これに前期後期の区別をつけない。教育課程や教育組織等についても、前期三年は高等学校に準ずるという考え方はとらない。(3)「深く専門の学芸を教授し、職業に必要な能力を育成する」ことを目的とする。これによって、「研究」をも学校の目的とする大学との違いを明瞭にする。同時に、専科大学案にあった「実際生活」に必要な能力ということを除いて、専門職業教育機関であることを明確にする。

高等専門学校設置基準

一方、1961年(昭和36年)8月に省令として定められた「高等専門学校設置基準」には、「教育水準の維持向上」内で、「第二条 高等専門学校は、その組織編制、施設、設備等がこの省令で定める設置基準より低下した状態にならないようにすることはもとより、常にその充実を図り、もって教育水準の維持向上に努めなければならない。2前項の場合において、高等専門学校は、その教育内容を学術の進展に即応させるため、必要な研究が行なわれるように努めるものとする」とあります。大学との違いを明瞭にしながらも、当初から高専でも教育内容を科学技術の進展につなげる研究が求められていたと言えます。